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【追悼】中丸シオンさんの思い出

【追悼】中丸シオンさんの思い出

皆様こんにちは、アイ・ペアーズ株式会社「mamo社長」こと伊藤衛です。

前回から少し間が空きましたが、実はこの一ヶ月このブログをどうやって書こうかずっと悩んでおりました。今回は十周年記念社長ブログとしてではなく、一緒に頑張った仲間として、先月7月11日に亡くなられた敬愛する女優中丸シオンさんのお話を書こうと思います。

十周年記念シリーズは来月Vol.9として再開します。
中丸シオンさんの業績に関しては、下記の所属事務所(フロム・ファーストプロダクション様)プロフィールページとWikipedia記事をご参照ください。

中丸シオンさんプロフィールページより

https://www.from1-pro.jp/talent/detail.php?id=51

https://ja.wikipedia.org/wiki/中丸シオン

本音を言うと出来ればこの話は書きたくなくて、何故かと言うと未だに突然の訃報が信じられず、1年半ほど前に元気にやり取りをして約束をしたサンプル録音の依頼が来るのではないか、と心のどこかで思っている自分が居るからです。こうして記事を書くことによって、シオン先生がこの世にはもう居ないということをハッキリ認めてしまうことになるのでどうにも筆が進みません。ですが、そろそろ四十九日になりますから、キチンとお別れをお伝えしないといけませんね。

そう自分は中丸シオンさんのことをいつも「シオン先生」と呼んでおりまして、ご本人も自分に対しては「シオン先生は〇〇と思います」とかふざけて話すこともありましたっけ…。

自分が20歳近く若いシオンさんを「先生」と呼ぶようになったのは、そのいつもひたむきで前向きな姿勢に感動し、色々教わることが多かったからです。これはシオンさんを知る人はお分かりいただけると思います。

シオンさんと初めてお会いしたのは2009年の暮れか2010年の初頭だったでしょうか。古くからある渋谷の喫茶店でした。自分の大学時代の友人がシオンさんがまだ十代の頃スタッフをやっていまして、シオンさんの話は昔から聞いておりました。歌手活動を考えていた16歳の頃に作ったデモテープを当時聴いてコメントしていたこともあり、音楽活動再開を考えていたシオンさんに伊藤へ協力をお願いしてみたら?とその友人が薦めたというのが発端です。

ちょうどその頃自分は会社員を辞めて音楽制作やITコンサルティングを行う個人会社を立ち上げたところで、川越の自宅(当時)にスタジオを構えてプロツーを導入したタイミングでした。好きな音楽やシオンさんが出演した円谷プロ作品の話で盛り上がり(自分の師匠が元円谷プロ社長の森島恒行さんのため)、別れ際に「どうぞよろしくおねがいします!」とガッチリ握手をしたのが、ついこの間のことのように思い出されます。

それから一年は、シオンさんの所属事務所フロム・ファーストプロダクション様のご理解もあり、本当に二人三脚で毎週のように顔を合わせてスタジオでのリハ、楽曲の共作、自宅スタジオでのデモ収録を行っていたのですが、すっかりうちの妻とも仲良くなって、作業の合間には良く3人でうちのリビングでのんびりお茶をしましたっけ…。

リハはいつも池袋で、終わった後は反省会と称して居酒屋でバンドメンバー全員で一杯やるのが本当に楽しかったですね。シオンさんは女優さんとして十代の頃から実績があるにもかかわらず、いつでも気さくで笑顔を絶やすことなく、自分が人生で知り合った最良の仲間の一人でした。

夜中に電話が来て、どうやったらもっと上手く歌えるかとか、次のリハはこうしようとか1時間以上話し合うことも何度もあり、本当にシオンさんの熱意にはいつも感心しておりました。

楽曲のデモはシオンさんと試行錯誤しながら少しずつ作って行ったのですが、自分のことは他の方には「音の魔術師」とか「みんなのお父さん」とか言ってくれてましたね。一回完成途中のデモをシオンさんがお父様の中丸新将さんに聴いていただいたところ「ロックだな~!」と仰ったそうで、これは自分は非常に嬉しかったですね。

そして半年かけて完成した3曲のデモ(ラフスケッチはもっと沢山あります)を関係者の皆様に聴いていただき、事務所様ブッキングの形で2010年の暮れ12月1日にお披露目ライブを恵比寿天窓.switchで行いました。共演は花乃ルサカさんMADOKAさんで、今になってみるとこれがシオンさんの人生で最初で最後の公開ライブということになりますでしょうか。

ライブ当日のメンバーはボーカルのシオンさんの他、当方(Pf/AG/Cho)、石井幸次(AG/Key/Cho)、五木田僚介(EG)、河野友弥(B)、大河内涼子(Vn)、関根雄一(Dr)の各氏です(敬称略)。大河内さんは今では様々なビッグステージにおいてコンミスを務められている売れっ子バイオリンプレイヤーであり、ベースの河野さんはウクレレVTuber「トモsun」として大活躍されています。

この記事の執筆にあたり、当日シオンさん所属事務所の音楽部門担当マネージャーさんに撮っていただいた沢山の画像を改めて見てみたのですが、体感的には12年前とは思えないくらいついこの間のことのようです。映像も手元にあるのですが、こちらは関係者の皆様の確認に大分時間がかかりそうですので、公開は難しいでしょうね…。大切な思い出として大事に保管しておこうと思います。

ライブに関しては関係者の皆様の評判も良く、出来れば活動を続けたかったのですが、ちょうどカネボウの化粧品「うるり」のCM起用が決まり、シオンさんの本業である女優業の方が忙しくなったために本格的な音楽活動は一旦保留となったのでした。

その後自分が2012年にアイ・ペアーズを立ち上げ、本格的にコンテンツ制作事業に乗り出した後も折に触れてちょこちょこお会いする機会があり、自分の妻と3人でカラオケに行ったり、出演するお芝居を母を連れて観に行ったりと交流は途切れずにありました。その母も6年前に亡くなりましたが、まさかシオンさんまでとは…。良く知る人、しかも才能ある若い方の訃報をYahooニュースで知るというのは本当に辛いですよ…。

話は戻りますが、お互い忙しく、たまに連絡を取り合うくらいだった2016年の11月にシオンさんからとある依頼がありました。今度ロシアの大河ドラマに主演(ヒロインの石井花子役)することになったのだけど、監督からいきなり「リリーマルレーンをドイツ語で歌って貰うから」と言われたとのことで、クランクインまでに何とかしないといけないので助けて欲しいという緊急ヘルプ依頼でした。

で、いつ撮影?と聞いたら明後日上海に飛ぶと…。しかも出来るだけマリーネ・ディートリヒの歌い方に近づけたいとのオーダーがあり、慌てて色々調べて当時のディートリヒバージョンを採譜し、ドイツ語の出来ないシオンさんが発音できるように、ルビと注釈を振りまくった指南書と音源を作成して翌日深夜に送ったのでした。

結局その時は歌唱シーンの撮影はなかったのですが、数か月後今後はもう一曲「ロザムンデ」も歌えと言われた…という泣きの連絡が撮影中のロシアから入り、そちらも指南書を作成してFacebookのメッセンジャーでロシアに送った次第。そんな悪戦苦闘の末、ドラマが完成して好評を得たのは本当に嬉しかったですね…。帰国後お土産をいただいたのですが、まさかそれが形見になるとは夢にも思わず…。

その後も折に触れてメッセンジャーでやり取りをしたり、出演するお芝居を観に行って挨拶をしたりとコロナ禍の中でも交流は絶え間なく続き、直近では冒頭に書いた通りシオンさんの歌や音声のデモを新たに録って欲しいという相談が2020年の暮れにありましたが、毎回いつもの元気なシオン先生で、5年もずっと闘病していたというのは亡くなった後に知って本当に驚きました。

ですので、Yahooニュースで訃報を知った時はひたすら呆然です。
正直なところ、未だ全然実感がありません。

ねぇシオン先生、お互い果たしていない約束沢山ありますよね?
早すぎませんか、幾ら何でも…。

このブログを書くに当たって、シオンさんとのやり取りを見返してみたのですが、いつもバイタリティー溢れるシオンさんの言葉を見るに、自分としてはもう後悔しかありません。もっと色々なことが出来たはずだ…。

今自分に出来ることは、女優として表に出ている姿ではなく、自分からみた一人の中丸シオンという一人の人間がいかに律儀で誠意溢れる素晴らしい人であったか、この上なくチャーミングな女性であったかを書き残しておくことだと思い、この文章を書いております。

そして、我々が協力して2010年に作り上げたデモ3曲を、シンガー中丸シオンの貴重な音源として記録に残したいと思っています。12年前のデモですので万全のクオリティーではございませんが、もしよろしければお聴きいただければ幸いです。

※これら3曲の著作権は当方を含む作詞、作曲を担当したクリエイターに帰属します。

最後に、中丸シオンさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
若くして愛する娘を亡くされたお父様、お母様のご心情を考えると胸が痛みます。

シオン先生へ

一緒に頑張ったあの時間がなければ自分はアイ・ペアーズを設立していませんし、となると弊社が携わってきた作品はこの世に生まれなかった筈ですよ。全て貴方が蒔いてくれた種が育ったものです。いつか特撮の現場で会いたかったなぁ…。

楽しい時間をありがとう!!
ゆっくり休んでくださいね。

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