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十周年社長ブログ【Vol.12】2022年を振り返って

十周年社長ブログ【Vol.12】2022年を振り返って

皆様こんにちは!
アイ・ペアーズ株式会社「mamo社長」こと伊藤衛です。

先日12/11日に行われた「ささつづWinter」の配信ライブはお楽しみいただけましたか?

前回のブログで自分が予告した通り、会場でのライブと配信ライブとコンテンツ内容が異なるというスタイルを取ったのですが、配信の方を見てクオリティーの高さに衝撃を受けた方も多かったようですね。かくいう自分もライブ制作を監督する立場のプロデューサーという肩書にもかかわらず、ライブ後に初めて観た最終形ライブ映像の余りの出来の良さに驚いて、アーカイブを4周してしまいました…。

早いもので、ついこの間始まったと思っていた2022年も本日が最終日になります。

そして、弊社設立十周年を記念して始めたこのブログも最終回ということになるのですが、元々自分はこの11年継続的にブログを書いてきましたし、今後も引き続き書いていくつもりです。

ですので、最終回と言うのはあくまで「十周年記念シリーズ」が終わりと言うことで、ナンバリングは次回から変わるかもですが、内容的に特に大きく変わることはないかと思います。そもそも社長ブログというくくりで言うと、もう100回以上書いている気がします…。

さて本題に入りますが、今年を振り返ってみると、弊社としては本当に激動の年となりました。
大きな出来事を並べると下記となります。

1月 「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」クランクイン
2月 「北京2022 冬季オリンピック」小林陵侑選手スキージャンプノーマルヒル優勝
 「ひきだすにほんご Activate Your Japanese!」全世界向け配信開始
3月 「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」放映開始
4月 JVCケンウッドプロデュースVTuber 黒杜えれん「心霊スポット巡礼ツアー」前後編公開
5月 いれいす1st 3D LIVE『Irregular Dive in バーチャル』開催
6月 コンテンツ東京「先端デジタルテクノノロジー展」出展
7月 新事業「ライブビジュアライゼーション」リリース
 劇場版「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」公開
8月 『FESTiVAL 3D』発表
 バーチャルマーケット2022 Summer「ペッパー警部」3Dバーチャルライブ公開
9月 成田空港多言語音声ガイダンス制作
10月 「PERSONA SUPER LIVE P-SOUND WISH 2022 ~交差する旅路~」開催
11月 怒涛のオーディオブック二本並行進行
12月ささつづWinter」開催
 「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」クランクアップ

こう見ると、2022年はドンブラザーズに始まり、ドンブラザーズに終わった感がありますね。
もっとも、ドンブラザーズの制作準備は2021年秋から始まっておりまして、キックオフで田崎監督やスタッフの皆さんとMVNで出来ることを色々お話ししたのがついこの間のことのようです。

そして2023戦隊の「キングオージャー」ですが、実はこちらももう制作が始まっておりまして、秋以降は完全にパラレルで進んでおりました(弊社がどんな関わり方をするかは放映開始をお待ちください!)。そんな中、様々な制作案件やライブ制作を行っているのですから、スタッフ全員本当に馬車馬のような活躍ぶりでした。

こうして見ると、今年は弊社にとって大きな飛躍の年になりましたね…。
昨年までの弊社とは完全に別ステージと言えるくらい技術力もアップしていると思います。

一方、個人的には寂しいお別れもありました。
まず、7月にはブログで以前書いた通り、自分が最も親しい女優さんだった中丸シオンさんの訃報がありました。未だ実感がないというか、信じられない思いの方が大きいですが…。

そしてつい先日、自分のビジネス面の最大の恩師であり、メンターでもあった元FUSION GOL事業部長 平勝臣さんが亡くなられたとの連絡を受け、ショックが覚めやらぬ状態です。

ちょうど良い機会ですので、この場で少し平さんとの思い出を書いておこうと思います。尊敬する平さんのことを少しでも世間に知らしめることが出来れば嬉しく思います。

平さんと初めてお会いしたのは2000年の年明けでした。当時自分は東京外語大大学院の博士前期課程を終えた後、教務補佐として2年間外語大視聴覚センターに勤務しており、大学の北区西ヶ原から府中への移転を翌年に控えて、就職先を探していた時に面接に伺ったのが初対面となります。

十代の頃に東京都庁での公務員経験はあれど、それまで自分は学業と平行してずっとフリーランスとして働いて来たので、民間企業の就職面接というのはこれが初めてでした。当然かなり緊張して当時中野坂上にあったISPプロバイダー「グローバルオンラインジャパン(GOL)」のオフィスに面接に行ったのですが、人事部長だった平さんはとてもフランクに接して下さって、開口一番「今日の日経読んだ?」と言われたのを覚えています。

と言うのも、その日ちょうどGOLの親会社となっていた米外資のIT企業エクソダス・コミュニケーションズとNRIが合弁で新宿にデータセンターを作るという記事が発表になったところだったのです。そして自分は、その頃立ち上げたインディーズレーベルの運営を考えて週4日勤務を希望したためにGOLではなくエクソダスの方に採用され、インターネットエンジニアとして2000年4月より人生初のサラリーマン生活開始とあいなったわけです。

その後エクソダスに入社してからは、たまにたばこ部屋(この頃は自分も喫煙者でした!)でお会いする程度でしたが、外資でのエンジニア生活は結構ハードで(全てが英語の環境で一年中一人っきりで夜勤)、しかもインターネットバブル崩壊でエクソダスが米国連邦倒産法のいわゆるチャプター11適用を受けて破産状態となり、親会社が今度は英国資本のケーブル・アンド・ワイヤレスに変わり、更にGOLが当時発足したばかりの通信ベンチャー「フュージョン・コミュニケーションズ(現楽天コミュニケーションズ)」に買収されたため、一旦自分は平さんやGOLの皆さんとは別れる形になりました。

そして2013年の夏に自分もケーブル・アンド・ワイヤレスを離れ、FUSION GOLという新たなブランド名となったGOLの新母体フュージョン・ネットワークサービスに遅れて加入することになり、事業部長だった平さんに二度目の面接を受けることになりました。この時はもうお互いに旧知の間柄だったので、具体的な仕事内容の話しかしなかったですね。つまり実際には面接以前に選考は終わっていたようなものです。

そしてそこから2007年暮れに体調を崩して休職するまでの4年間は本当に、本当に沢山のことを教えていただきました。サラリーマン経験が殆どないと言って良い自分をいきなり法人営業部のマネージャーに抜擢し、その後営業部長、CS部長、技術部長を仰せつかって、会社人としてのお作法、礼儀、マネージメントのやり方、営業手法、評価制度、部下の教育方法など、ビジネスパーソンとしての全てを教えていただきました。

実力オーバーなアサインで常にテンパっていた自分は、無茶振りは困りますともう何度平さんに喰ってかかったか分かりません。生意気な若造を平さんは常に冷静に、諭すように我慢強く教育していただき、頭の下がる思いでいっぱいです。同時期に平さんの右腕的な存在となった岡健司さん(現「ヒルズ珈房」オーナー)と自分の二人の部長を従えて、周りの方から見ると黄門様のようなイメージだったかもしれませんね。

そう、今自分が会社経営など出来ているのは、全て平さんの教育の賜物なのです。
言い換えれば、アイ・ペアーズ社長としての自分は平さんの作品と言っても過言ではありません。

その後自分は10ヶ月の休職ののち一時復職するもすぐに退職し、フリーランス→個人会社(アクツェント)設立→アイ・ペアーズ設立と現在の道に進んで来ました。平さんも自分の退職後暫くして会社をお辞めになり、それ以降お会いしたのは数度のみですが、最後にお会いした際に、ご自身ではなくこちらの体調を心配してくださって…。

その時はGOLの後継である楽天コミュニケーションズにお越しになったのですが、「体調は大丈夫? 伊藤さんが元気かどうかが心配だったけど、元気で安心した」と仰ってくださったのが最後の会話となりました。普通逆ですよね…。親心子知らずです。

正直なところ、何でもっと頻繁に会いに行かなかったのか、非常に悔やんでいます。
亡くなられて初めて気づいたのですが、自分はいつか平さんに褒めて貰いたくて会社経営を頑張って来たのですね…。後悔先に立たずとはまさにこのことです。

こちらはそんな日々の中の思い出の一枚、自分の結婚式で主賓の一人として祝辞をいただいた際の平さんの写真です。祝辞の中で「伊藤君はどういうわけだか妙な人望がある」と仰られたのを苦笑いしながら聞きましたっけ…。「妙な人望があるのは平さんでしょう(笑)」と式場の高砂でスピーチを聴きながら思ったものです。

この日は家族や友人、仲間に囲まれ、祝福を受けたまさに自分の人生最良の日でしたね…。
ご参加いただいた皆さんの中に、もう会えない大切な方々が沢山居ます。もし叶うのであれば、あの結婚式の当日に一瞬でも良いから戻り、懐かしい皆さんにもう一度お会いしたいものです。

かけがえのない友人であり、頼れる兄貴でもあったカメラマンの須藤尚俊さんもその一人です。須藤さんがウィーンの当方の自宅に転がり込んできたのは1993年の秋頃だったでしょうか…。それ以降長きにわたる交友が続きました。人生の岐路で、何度人生の先輩としての温かい励ましの言葉やアドバイスをいただいたか分からないくらいです。

須藤さんは本当に誰にでも愛される方で、人柄は勿論のこと、本職である写真の腕も素晴らしく、須藤さんの撮影した「月夜のビクトリア滝」の写真が毎日新聞の一面を飾った時の紙面は自分のことのように誇らしくて、今でも大切に保存してあります。世界中を旅して市井に生きる名もない人々の素晴らしい表情を撮る、真の専門家でした。

※ぜひ須藤さんの作品をこちらでご覧ください。

須藤さんはその後沖縄に移住されて小学校のスクールカウンセラーもされていまして(何と須藤さんらしい…)、自分はいつか絶対行きますねと約束したまま、コロナ禍の最中である2020年5月に亡くなられたそうです。当時自分は訃報を知らず、人づてに亡くなったらしいと聞いて「嘘だろう!?」とFacebookを確認したところ、何人かの方がお悔やみのコメントを書かれていて、その後奥様よりご連絡をいただき、既にこの世にいらっしゃらないことを知ることとなりました。

そう言えば最近須藤さんの自分へのコメントがないな、と思っていたところだったのですが、まさか亡くなられていたとは…。残された奥様やご家族のことを考えると何ともやり切れない気持ちになったことを今でも思い出します。亡くなる半年前のブログが自分の余命を知った時のものだったということに後から気づきました。

生前最後のやり取りは「今度ご近所の斎場御嶽に行きたいので、案内してください!」という自分からのお誘いで、返事がなくておかしいなとは思っていたのですが、まさかお具合が悪いとは知らず…。

そんなことがありまして、先週末3年半ぶりに沖縄に出張で行った際に、ようやくこの斎場御嶽に行くことが出来ました。自分としては須藤さんに案内して貰ったと思っております。須藤さんの愛された南城市がどういうところか、ようやく分かった気がします。行ってみて本当に良かったと思います。

この辺は社員にも伝えておりませんでしたし、今回の自分の沖縄行きをSNSでご覧になっていた方はどうして忙しいこの時期なのだろうと思われたかもしれませんが、自分としては平さんと須藤さんのお二人に、お墓参りのつもりで今年の自分の頑張りを報告に行くという大事な意味がありました。

そして、本日は2022年の大晦日です。

本稿をもって、自分の今年の仕事納めとなりますが、自分としてはどうしてもお二人の恩人について語らないとどうしても激動の一年であった2022年が終わらないという気持ちが強く、このような長文ブログとなってしまいました。どうかご容赦いただければ幸いです。

来年の2023年も今年以上に社員、役員一同力を合わせて頑張って行きたいと思います。
弊社アイ・ペアーズ及びグループ各社への変わらぬご愛顧をどうぞよろしくお願い申し上げます。

皆様、どうか良いお年をお迎えください。

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